教養としての認知科学

今更ながら「教養としての認知科学」を読了した。入門書として平易に書かれている恩恵もあるけれど、何より内容が面白すぎて一気に読めた。

私が「面白い」と感じるのも認知なのだろうかと思いを馳せつつ、私の頭の中では本から入ってくる認知科学の内容が、これまで関心を持ってきた様々な知識や経験を活性させているに違いない。それは、夜な夜なblogに向かわせるくらい刺激的だった。

科学に対して「役立つ」と言うのは野暮かもしれないけれど、認知科学は自分の関心ごとに対して役立ちそうという印象が強いのでなおさら興味が湧く。


人工知能のルーツ?

私の本業であるソフトウェア工学の界隈でも、最近は人工知能が流行っている。認知科学を学ぶと、人工知能と関わりがあると感じる。おそらく、ロボット工学が動物の構造や動きを手本にしているのと同じくらいに、人工知能も人間の認知システムを手本にしていそう。読んでいて「どこかで聞いた事がある」と思ったら、認知科学が元ネタだったりする。


モノづくりの対象ユーザー

モノづくりにおいても、モノに宿る特性としての使いやすさ追求を超え、モノを使うユーザーの感情や思考をゴールに据えようとしたら、ユーザーの認知を知る事が必要不可欠になる。
第一に、ユーザーも人間にカテゴライズされるので、人間の認知のクセを知るというレベルで役立つ。第二に、ユーザー固有の情報を引き出す手法でも、ユーザーから正確な情報を多く引き出すノウハウが、実は認知科学に裏付けられている。

後者の例として、インタビュー調査において、「ジワジワ核心に迫る」というテクニックは長期記憶を引き出す仕組みに敵っている。「質問の仕方によって誘導するので注意」という教えは、思い出す際に記憶を書き換えてしまう「構成的記憶」への対処である。
ユーザビリティ評価を外から見ていたら「もう指差してて押すだけじゃないか!」とヤキモキする際も、被験者の頭の中では並列処理が試行錯誤していて、答えに辿り付いた深層心理を否定してしまっている。

テクニックを知って使いこなせれば裏付けなんて不要なんじゃないの?という問いもありそうだけど、人間の記憶は「記憶すべき項目以外の余計な情報を付けることで、より多くのことが記憶できる」そうで、学べば学ぶだけモノに出来るらしい。USBメモリ容量みたくケチる必要は無いと教えてくれるのも認知科学。


己を知る

知っているようで知らなかった自分について学べた。思い返せば、不具合調査をしていても、最初に浮かんだ仮説を支持する現象ばかり目に入る「認証バイアス」のせいで、原因特定が遅れるなんてこともあったかもしれない。コンピューター相手に仕事をしていても、仕事をする自分は人間。

人を誘導してしまえる危険があるからこそ、防衛策として知らなければならない。統計学は「みんなの思い込みは間違ってる!」という事実を客観的なデータから教えてくれる一方で、認知科学は思い込みを起こすメカニズムまで教えてくれる。

私は階段をスキップで降りるのが特技だが、これまで合理的に説明できなかった。今なら言えるのが、楽しいからスキップする訳ではなくスキップするから楽しくなるという、「ジェームズランゲ説」を実践していた。楽しい気分になると生産的になるからスキップする。このように、ライフハック的にも活用してゆきたい。

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