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UXデザインセミナーの話題に対する所見

UXデザインに関してこれまでに印象に残った話題と、現時点の解釈や心境について書き記す。後から読んで恥ずかしくなった時に成長を実感すると思う。 スペシャリストかジェネラリストか? スキルの範囲を特定して研ぎ澄ませるべきか?広範囲をこなせるようになるべきか?という問題。時が経って淘汰に生き残った方が「正解だった」と言えるんだろうけれど、時代の兆候からするとジェネラリストが生き残りそうに思う。 大きな組織に属して仕事をする時点で、意識せずともスペシャリストに偏っていることは実感する。それは、人数が揃っていれば、役割を分けて得意なところを分担した方が効率的だからという組織的な理由もある。 組織の中だけならスペシャリストでよいけれど、目まぐるしく組織が栄枯盛衰する昨今では、そもそも組織が永続する保証はない。組織の枠におさまっていると、まさか組織がなくなるとは思い至らない。 私が今の給料を貰えているのも、今の組織に特化した能力を持っていて、パフォーマンスを上げられるからに過ぎない。きっと私が業務で培った能力は他社で役立たないので、転職しても今ほどの給料は貰えない気がする。 スペシャリストに特化して企業で生きるのも立派な生存方法だけど、UXデザインの実践に関して言えばジェネラリストでないと回せない。サービス創出に最初から最後まで携わるには、マーケティング・開発・販売といった縦割りではいけないし、時代の変化にキャッチアップするには体系化された既存の能力が使えなくなってしまうから。 UXデザインをやりたければ転職? UXデザインに限らず、「新たな○○手法を組織でやろう」と情熱を浪費するより、土壌が整っているところに移って活躍してしまう方が早いという話があった。組織内だとタブー視されるような、枠に囚われない見方(リフレーミング)としては破壊力がある。 そんな転職論に対して私が腑に落ちていないところもある。仕事を選ぶにも何か大きな志(?)があった筈で、それと比べるとUXデザインをやるかは実現手段に過ぎない。実現方法に引っ張られて志を変えるのは違う気もする。 カギになるのは「裁量」と「自分事」という要素ではないかと考えた。「建築業界でUXデザインの第一人者になる!」と意気込んで学びに来ている社長は、まわりに理解者がいない状況で「転職だ!」ではなく「

2016 UX KANSAI #8,9 ペーパープロトタイピング/ストーリーボーディング

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「blogを書くまでがワークショップ!」なる教訓を振り返りがてら発信しつつ、習い事のように毎月受けているUXデザインの振り返りがスッカリ筆不精になってしまった。 マネタイズに苦戦して右往左往 筆が進まない理由は、上手く進められず後ろめたいせいだけど、それも含めて書き留める。連続セミナーとしては終盤に差し掛かり、上半期のユーザー調査&可視化を下地として、設計&評価をぐるぐる回すフェーズに入っている。どちらかと言えば普段の業務に近く得意なハズなのに、「上手くいっていない」のはマネタイズの面だった。 我々のチームが#5でつくったペルソナは、一人旅行するクリエイターだった。「これじゃぁ対象者が少な過ぎてビジネスにならない」ということで、急遽をペルソナを修学旅行の引率者に定めて#7を仕上げた。ボロも出しつつ時間内に収めた点だけは習熟度が上がった気もするけれど、掘り下げても既存ビジネスだし、「その場所でやる意味」にも欠けるサービスとなった。 元のペルソナが狭くても、「周辺の人も共通で持っている欲求を満たせれば広がりがあるハズ?」と、#8にて元の路線に戻してピボットしようとした。しかし、回を重ねるごとに詳細化が進んで手直しが苦しくなってくる。 一方向のウォーターフォールと違って、HCDサイクルは戻りながら回すもの。実際、設計&評価テクニックの恩恵で、モノづくりの出費なく失敗ができている。けれどやっぱり、締め切りのあるプロジェクトには手戻りがきかないタイムリミットがある。 ちょうど、熱い鉄を打ちながら形を作るように、自由に変えられる段階から設計を固めて整える段階がなければ納期は守れない。どの段階で危機感を嗅ぎ取って立ち止まりピボットを繰り返すか、いまひとつ見極められていないので鍛錬が必要。 後ろめたさの打開は? セミナーの間は丸一か月空くので、その間に準備して差し替えればよいのだけど、忙しさを言い訳に手が付けられないまま時間を食い潰して当日を迎えてしまい、夏休みの宿題を忘れた学生のような心境で参加することになった。 講義の中で、「旅行に縛られなくてもよい」というリフレーミングなヒントの中で、産技大でも同じ課題に取り組んでいて、そちらは7億円ビジネスをモノにできそうという話を伺った。キレのあるサービスのアイデアが空から