#六甲ミーツアート2017行ったよ

六甲ミーツ・アート 芸術散歩2017が公式にSNSフォトコンテストを催している通り、インスタに投稿するのが前提という印象が強い。ハッシュタグ「#六甲ミーツアート2017行ったよ」を付けてInstagramかtwitterに投稿してコンテスト参加のような取り組みからも伺える。

開催時期の重なる港都KOBE芸術祭は行政主導っぽいのに対して、六甲ミーツアートは企業色が強い。具体的なところで、前者がほとんど入場無料(アート鑑賞船は有料)なのに対して、後者は有料施設に入らないと見れない形態にも現れている。
広く言えば神戸を魅力的な街にする事に繋がっているんだけど、六甲ミーツアートの方が関連施設への入場料で収益を得るためのコンテンツ的な意味合いで、ビジネス色が多少は影響しているかも?


六甲山カンツリーハウス

六甲ハイ・チーズ

地元の中高一貫の女子校美術部が制作した作品。六甲山といえば牧場があってチーズだよね?的な連想のハイチーズなる作品。
カメラの写真をカメラで撮って、お約束のInstagramにあげる。このとき、自分の目に作品がどのように映り、自分自身の文脈を絡めて作品をどのように捉えたのかを外に表現する行為に思えてくる。センスとセンスのぶつけ合いに参戦する気概で臨む。


KoiのRock 'n' Roller

自らの作品を「駄菓子」ならぬ「駄美術」と呼ぶ現代美術二等兵さんの作品。
30分に一度のパフォーマンスが何かと思えば、鯉だけに恋の歌がメドレーで流れ、作品の周囲を鯉が群がるという馬鹿っぽさ。
ちょうど、音楽にもオーケストラから歌謡曲までの振れ幅があるのと同じように、美術だって厳粛な作品からキャッチーな作品まで振れ幅があっていいのかもしれない。それなのに、美術は厳粛であるべしという思い込みがあったかもしれない。


六甲山名物 芝漬

駄洒落3連発となる、芝を漬物にした柴漬け。
周囲の芝が茶色がかる季節の会期中に、ビニールハウス的に漬けられた芝だけが緑のままキープされている。漬かっている方が変化しないなんて「逆やないか!」と突っ込んでしまう。山肌にスケールのでかい馬鹿っぽい作品のくせに、賞味期限が開催終了の日付になるなどパッケージの芸が細かいところがニクい。


六甲富士

日本を代表する富士山というモチーフを、京阪神の誇る六甲山にインストールしてしまう作品。
神戸港でやっている港都KOBE芸術祭が鋭さや質量感といった印象を持ったのに対して、六甲ミーツアートは手仕事感があり有機的でぬくもりを感じる。これは、港と山という対比なのかもしれない。本作品も例に漏れず木材で出来たというぬくもりを持つ。
実際の富士山はこんなに傾斜していないんだけど、この形を観たときに「富士山だ!」と思えるのは、日本中のどの山よりも高い富士山像が心の中にアイコン化されているからかもしれない。池に映る逆さ富士までを味わえるという、六甲山の立地を活用しているのも面白い。


昨日の君、明日のあなた

「被写体を肯定する感覚」を持って撮影した写真を屋外に展示する作品。
自然の中で写真を観るという在りそうで無かった体験。平面な写真を立体物のように捉えて、自分でも絵になる構図を探して探して写真を撮る。
これまで私は、被写体である子供自体の様子を離れたおばあちゃんなどに伝えるべく写真を撮ってきたなぁと思う。そこに撮影者である私の主観が入る表現活動であるということを見落としていた。私が子供を想う気持ちまで伝わっているだろうかと自省してみる。


六甲ガーデンテラス

あべちゃん、なんかついてるよ

一見すると可愛いんだけど、それだけじゃない感情をポエムと共に味わう作品。
あべちゃんの寂しげな表情、足元にある涙だまり、口元のチョコの食べ残し(ある?)はポエムと連動している。「ナラティブ」と言うよりかは「ストーリー」だろう。
後ろに見える六甲枝垂れそのものが、緻密に計算されたアート作品として青空の下で存在感を放っている。そこに丸みを帯びたあべちゃんを配置するのが必然であるかのように居座って新しい印象をもたらす。こういうのが「インスタレーション」だろうか。
現代美術界隈にはカタカナ語が溢れているけれど、生み出された新しい表現を言語化するためには指さして表現するための語彙が必要なのかもしれない。


こんにちは

六甲枝垂れから350m離れたオブジェを双眼鏡で鑑賞させる、意思疎通への批評を含む作品。
結構苦労して目を凝らして読み取ったところ「404 Not Found」と書いていて「頑張ってそれか!!」と声をあげてしまう。個人的経験からは2000年ごろのTEL放題でネットサーフィンしていた頃、時間をかけてお目当ての画像をロードするも違って悔しかったエピソードが蘇る。そうそう、コミニュケーションは手間のかかる事だということを、便利になってしまった弊害で忘れがちになっているよね。


太陽と共にねむる

壁一面に電球が埋め込まれていると見せかけて、壁の裏には光ファイバーの管みたいなのが刺さっていて光源は太陽光だと分かる。
技術によって生まれた電球を使って灯りという役割に着目させ、それが太陽光というタネアカシをすることで、まさに作品名の「太陽と共にねむる」が伝わってくる。気象の揺らぎや時間帯によって電球の向こうに見える光も揺らぐ。偶然なのか、科学技術に対するメッセージを感じる作品が並んだ。


六甲山ホテル

The soft culture

2016に展示したフレスコ画の制作過程を見せてしまうという展示。立木から型を取ったかのような木材が並ぶ。
もともと立木を覆う展示だった文脈から切り離されているんだけど、芸術祭として見ると時を超えて展示前・展示中・展示後の時間軸で繋がってしまうという対比が面白い。
当時のポラロイドが無造作に置かれていて、インスタでお決まりのショットを撮ってしまうという、無意識に操作されているような感じがする。


六甲ケーブル

スペース・ホワイト・カフェ

日常にあるものをモチーフにする作家による、カフェを白い宇宙船のような空間にする作品。
アート作品を食するという味わい方が出来る特製ホワイトカレーは、具まで白で統一というこだわりぶり。インスタやってると「白い空間でホワイトカレー食べたら絵になるんじゃね?」という動機付けが働き、行動が引っ張られてるなと感じる。むしろ、自分たちが白で統一されていないのが申し訳なくなる。
ビジネスを求めるとアートとしての自由な表現が失われるんじゃないか?という懸念を鮮やかに裏切りカフェ営業で収益を得ているのも面白い。

六甲ケーブルエリアにある映像作品「羊がいる山」を見ようと思ったら、TENRAN CAFEという喫茶店内にあってワンオーダーが必要だったりする。小銭で買えるテイクアウトコーヒーも準備されていて鑑賞者に優しい?



六甲オルゴールミュージアム

六甲の不思議の森の物語

おもちゃ交換プログラムで顧みられなくなったおもちゃが再利用されている。
私個人的には、この作品を観たときに鋼の錬金術師のホムンクルス的なグロさを見出した。ドラえもんから「いっそ殺して」と聞こえてきそう。我々の身体も細胞から構成されるのに、本来ミクロであるべきものが見えてしまうと怖い。

霧がかかった天候のせいかもしれないけれど、池の展示も怖く見えてこない?


幸せの種まき

幸せで満たすべく、展示期間中にも作者滞在時は四葉のクローバーを増やす作品。

クローバーが鏡になっていて、何を映り込ませるかによって絵面が変わる。ちょうど私の滞在時は小雨だったので白いクローバーだった。晴れていたら青空のクローバーなんだろうかなとか思いを馳せる。


Inter-world-sway

環境によって変化するソフトスカルプチュアな作品。
狭い木道を他人とすれ違うと、必然的にスカルプチュアにぽよぽよと当たってしまい「こんなに簡単に揺れるのか!?」と驚く。風でも揺れ動き、存在に慣れてくると草木と一緒に遠目の風景の中で揺らいでいる。


六甲高山植物園

Sleeping Guardian

映画もののけ姫でも「おっことぬし様」が崇められているように、森を守る存在であるイノシシを、六甲山麓のごみ収集所でよく見るイノシシ除けネットで表現するところに皮肉が効いていている。本命という感じがする作品。



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