魔法の美術館

海遊館の程近くにある大阪文化館にて、2017年7月15日~9月3日のイベント「魔法の美術館」に行ってきた。

テクノロジー系の展示は結構好きで、思えば「チームラボアイランド」や「パパパPARTY」にも足を運んできた。子供にもそこそこ好評。


種明かしに関心が向く

「魔法の美術館」では、スクリーンの前に立つとカメラ型センサーが鑑賞者を検知してスクリーンに反映される相互作用型の作品が多い。
MicrosoftのXbox One Kinectに搭載される赤外線カメラによって、暗い場所でも奥行き3D情報を得て、エフェクトを作り込める。

こちらの作品も赤外線カメラでリアルタイムに3Dモデルを作る。あまり高精度だとただの2D画像に見えるところ、昔のバーチャファイターを彷彿とさせる解像度の低いポリゴン画像なので、3Dモデルっぽさが感じられるのは逆説的で面白い。
3Dプリンターが出力デバイスとして普及してくると、赤外線カメラが手軽な入力デバイスとして活躍しそうな予感。

円盤状にぐるぐる回るギターのフレット的な棒が投射されていて、星形プレートにぶつかると綺麗な音が鳴る作品。
星形プレートは動かすことが出来るので、好きな場所に置いて棒が回ってくるのを待つ。
星形プレートの場所はセンサー情報から得られないので、自前で画像認識する必要がある。ただ、OpenCVなどの無料ライブラリーが活用できるので比較的容易にパターンマッチングが作れるかも。

舞い上がる発泡スチロールの粒にプロジェクターで投影している。子供達は、モノに触れる作品の方が惹かれるようだ。

光の三原色である赤・緑・青かと思いきや、よく見ると水色・赤紫・黄色になっていて、3原色から1色づつ抜いた色になっている。
3台並べたプロジェクターを3原色に対応させていて、1色づつ遮るという単純な影絵だった。影のまわりに蝶を飛ぶところに相互作用がある。

4×9のパネルにボールをぶつけると反応する展示。画像センサーかと思いきや、背面に4×9個分のセンサーを張り付けていた。この愚直さはけっこう好きだ。

白い絵本を開いて立ち歩くと、ある場所で絵が出てくる。要するにただのプロジェクターなんだけど、足元を照明で照らすことで絵本の絵に気付かないようにしているのがタネ。

エンジニアとしては、作品の実現方法を分解して捉えようとし、「どうやったら実現できるか?」という種明かしに関心が向く。ただ、「紙の上で鉛筆をすべらせると絵が描ける」という原理を知っているからと言って、人の心をつかむ絵が描ける訳ではない。
「どのように試行錯誤してその表現に辿り着いたか?」「どういう感性をもたらすか?」の深堀りについてはまだ弱い。


技術で魅せる表現はイケてるのか?

Kinectの技術でいうと、深度画像だけでなく、最新のバージョンでは6人まで骨格認識できたり、うち2人までは指関節まで認識できたり、脈拍まで分かったり、一列に並んだマイクで話し手の方向まで分かったり、多くの情報が得られる。
おそらく今回の展示では、大人数での鑑賞に適した赤外線カメラ画像を活用している。他の情報も使い倒せれば、より魔法めいた作品が出来るんじゃないかとも期待する。

一方で、技術ありきで進めるものづくりは、箱モノ行政のように何をもたらすかが抜け落ちる恐れがある。「人工知能で何かできませんか?」を聞くたびに残念な気持ちになる。
カラーテレビ放送が始まった頃、花瓶の花を置いて映り込ませたという話を思い出す。絵面的には不要なんだけど、カラーであることを表現するために置いていたのだとか。今日はカラー放送が当たり前なので、前面にアピールする必要は無くなった。


「魔法の美術館」での未来を垣間見せる作品は、「ドヤ!凄いやろ!」という表現になっている。これは時代の過渡期である今だからイケてるのかもしれない。技術そのものが当たり前になって技術を贅沢な使い方が出来るようになると、「ドヤ!凄いやろ!」と言う表現は陳腐化して、新しい表現方法が必要とされるだろう。


アートなの?デザインなの?

魔法の「美術館」というくらいだからアートなんだろうか?むしろデザインではないのか?という疑問が沸いた。

私なりの解釈で、アートとデザインの関係を、サイエンスとエンジニアリングの関係のように捉えている。
後者は、誰かが抱えている目先の問題解決を動機としていて、役に立つので分かりやすい。作り手の関心よりも使い手が優先。
前者は取り組む人の興味関心から出発していて、そもそも役立てることを目指していない。ただ、後者によって活用されることで、人類を進歩させるインパクトがあったと後から認められる。


...という私の理解に「魔法の美術館」を照らし合わせると、未来を垣間見せる意図を持ってデザインしているようにも見えるし、表現活動という意味でアートっぽくもある。
岡本太郎さんが仰る「今日の芸術はきれいであってはならない」と照らし合わせても、アートと呼ぶには綺麗すぎる。ただ、魔法めいたことが実現できることを知らしめるパラダイムの変化には一役買っている。


鑑賞者を作者にする

美術館としてユニークだと感じたのは、表現された作品と対峙して鑑賞者の頭の中で解釈する従来の美術館と違い、「魔法の美術館」は鑑賞者が作品の一部になること。鑑賞者がいないと白い壁があるだけだ。

「PHOTO SNS OK」の例に漏れず、私も作品を撮影してblogを書いている。見方を変えれば展示作品であると同時に、鑑賞者が展示された作品を切り取ってインスタにあげるので、鑑賞者が作品になる。お出かけ先の選定において、自分が作者になれる場所を探しているなと、インスタを始めてみて感じる。

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