2017 UX KANSAI #02 オブザベーション

被験者の行動を観察して細かく記述する「オブザベーション」のワークショップ参加者を、さらに外側から「オブザベーション」させていただいた。

ゼリーを食べる人を行動観察する際に、題材であるゼリーはUI上の問題が沢山あって良かったんだけど、メーカー側の企業努力によって改善してしまった点もある。望ましい世界に向かっているけれど、セミナーの題材としては問題だ。

私自身も人知れずこっそりゼリーを食した。簡単便利を追及してきたクセが抜けず、ついUI上の問題を探してしまう自分に気付く。そんなこと思いながらゼリーを食べる消費者なんていないのでリアルではない。

撒き餌の如く散在するUI上の問題(モノの世界)に惑わされず、UXの問題(コトの世界)で捉えるのは、外から見ていても難しいワークショップに感じられた。


KJ法は難しいけど役に立つ

講義の中にも「難しいKJ法と比べると上位下位関係分析は敷居が低い」というような話があった。とは言え、UXデザインの基本所作に関しては、KJ法から勉強になることが多い。

私が偉そうに言っても「何様やねんアイツ(怒)」と思われるので、偉大なるKJ(=川喜田二郎)先生の言葉を借りて物申す。


付箋への記載について

発想法(p71)から引用
なるべく柔らかく、もとの発言の肌ざわりができるだけ伝わるようにと表現するのが良いのだ。もとの発言の土の香りをなるべく伝えた一行見出しがよいのである。
難しく書き過ぎるのもいけないけど、「食べにくい」だけでは情景が伝わってこないので良くない。

こちらのチームは大きい付箋を使って、読んだら分かる文章を書いているのがイイネ。

「事象を書きましょう」と言うと、実際の発話や行動しか書いてはいけないように思えてしまうところ、それだけだと情報が足りず情景が伝わる文章にならない。足りない情報を補うチャンスとして、「なぜそんな行動をとったの?」と聞けるエスノグラフィックインタビューがあった。

もし、文章を書こうとして書けないのであれば、直前のインタビューの質が悪かったと反省するポイントになる。このインタビューだけで単体のセミナーのテーマに出来るくらい高度なスキルが要る。そんな難しさを発見するための「ミドルスタート」だったのか。


グルーピングとラダーアップについて

今回はステップを時系列に配置すれば近しい内容の付箋が集まる簡易なものだったけれど、種類が違う付箋を移動してグルーピングするのもまた難しい。

発想法(p74)から引用
やがて紙きれ同士のあいだで、その内容の上でお互い親近感を覚える紙切れ同士が目についてくるだろう
発想法(p75)から引用
「なぜこの五枚をそこに集めなければならないか」という理由を、その五枚の紙片の内容がわれわれに語りかけてくるのである。暗示だと言ってもよい。
もし、付箋の声が聞こえてこずラダーアップに苦戦したとすれば、それは直前の付箋の文章が薄かったと反省するポイントになる。


ボトムアップ厳守!

発想法(p77)から引用
大分けから小分けにもっていくのはまったく邪道である。かならず小分けから大分けに進まなければならないのである。
今回のワークショップで言えば、重要視する問題点を取捨選択するために、「付箋の数が多いから」と「感情曲線が下がっているから」を根拠にできた。

後者「感情曲線が下がっている」において、感情曲線の下がりを説明する仮説を立てて、それに合う付箋を探してしまう落とし穴が見受けられた。分析時に自分のバイアスを入れない意味からも、徹底して付箋からのボトムアップにはこだわりたい。


UXデザインはスポーツだ!?

UXデザイン習得をスポーツ習得というメタファーに対応させての説明が、自分にとってはシックリきた。

教えてもらえば出来る訳ではなく、その後で何度も練習が必要というお話。
今回のワークショップ自体が「ミドルスタート」であり、素振りや筋トレから始めるよりも、まずはゲームで動機付けしつつ全体の流れや苦手箇所を見つけようというお話。
バッティングフォームの問題発見と同じく、各ステップに分解して問題点を探すと探しやすいというお話。

「漢方薬だ!」と言われるより「スポーツだ!」と言われた方がしっくりくるのは、健康体の私にとって治療薬は縁が薄いけれど、スーツ族ながらそこそこスポーツは嗜むからかもしれない。

ネットスラングの「ガンダムに例えて説明して」が成立するのも、ネット住民という人種は、深くガンダムを理解した人が多いという背景だろう。

エンジニア的な発想がUXデザインの習得を阻害してしまう一面もあるけれど、何らかの分野を極めていること自体は、対応付けして理解できる引き出しを持っていることに繋がり、他の新しい分野を習得する時に有利に働くこともあると期待している。

バイリンガルが新しい言語を容易く習得できる話のように、エンジニアリングとUXデザインを習得していれば、両方が使えなくなる新時代が来ても、手持ちスキルに執着せず新時代に沿った新能力に飛びついて身に付けて生き残れそうな気がしている。←懇親会で聞かれた「どうして学んでいるの?」に対する私の長期的な見解。

木も見て森も見る

「スプーンですくって食べる」と書くと1ステップになってしまうのを、分解しようと思えば分解できる。逐次処理でなく並行処理という要素もある。
ステップ分解の細かさは、ものの見方の「解像度」みたいなものに思えた。それほどの解像度が必要かは、分けることで有用な得られたかどうかで判断すればよさそうか。

「序盤」「中盤」「終盤」というステップに分解したチームがあって、分け方としては抜けがあって見落としてしまうけれど、視点としては面白いなぁと思った。
そういう見方をすると、1個のゼリーを「スプーンですくって食べる」繰り返しの中に、試行錯誤によって手が汚れないスプーンの持ち方へと変えるような学習をしていることが見えてくる。

ビジネス視点では、提供する「マジ価値」が響いて繰り返しゼリーを買ってくれる消費者を相手にするべきで、そのような人が学習によって克服できてしまう問題ならば、実は解決せず放置しても長期利用品質には影響しないのかもしれない。

さらに時間軸のスケールを伸ばすと、食べる前中後はどこで何をしているのかという利用状況の話や、さらに過去の経験からどんな価値観を持つようになったかというユーザーの話に繋がる。・・・というのはこじ付けっぽいけれど、スケーリングを行き来してミクロとマクロの両方を見ることは意識したい。


外化されたノウハウの活用

感情曲線の書き方を聞かれたので、先輩面して「付箋の粘着面をちぎって当たり付けするとやりやすいですよ」とウケウリ情報を話した。こういうのも、どこかのコミュニティーで外化された情報のおかげである。

下書きなしに被験者本人の気持ちを一筆入魂するチームもあり、雑念や打算が入り込まないリアルな感情なのかもしれない。でも、二人目が書くときに一人目に引っ張られないのか。


セミナーは懇親会の参加チケット

語録に載りそうなパワーワードを拝借。他の方から話を聞いたり、自分の見解を話したりすることで学びが深まるのだけど、記憶が定着するどころか飲み過ぎると忘れちゃうのが玉に瑕。


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