暴走族のエスノグラフィー

暴走族のエスノグラフィー」を読了。タイトルにもなっているエスノグラフィーは文化人類学らへんの研究手法で、調査対象の部族・民族に入り込んで文化の特徴や日常の当たり前を詳細記述する。昨今では、ビジネスシーンでもユーザーの価値観レベルの理解や課題発見に活かすべく、ユーザーの生活環境に入り込んで参与観察する取り組みがある。

私が読もうと思った動機はユーザー調査法(後者)への関心によるものだけど、この書籍は暴走族の生態を解明する立場(前者)のようだ。いずれにせよ、そこそこエエ年したインテリ社会学者が暴走族と行動を共に調査している姿を想像すると面白い。


読んでみても、行儀よく真面目とは対極にありそうな暴走族に対して、フロー経験、内発的報酬、「魅力-リスク」モデルの観点からクソ真面目に考察していて、なかなかギャップに富んだ内容だった。


手法より問いの深さがモノを言う

書籍の調査アプローチは、引き出しをフル活用して使える手法は節操なく使うものだった。情報提供者と行動を共にしつつも、本人の手記を参照したり、アンケートを取ったり、インタビューしたりする。

全体を通して目から鱗だったのは「問いの深さ」に尽きる。自分だと情報提供者からの証言を聞き出した時点で、分かったつもりになって調査を打ち切ってしまうかもしれないところ、筆者は情報提供者の証言を「本当に?」「どうして?」と疑い、さらに深掘りして本質を解き明かそうとしている。

暴走族業界には「フカシこいてんじゃねぇよ!」という言葉があるよう、自分を大きく見せる嘘に溢れているので、疑って掘り下げねば調査にならないだろう。それと比べて(比べるのも失礼だけど)我々のユーザーは訓練を受けた専門職で話も通じる。それでも、正しく見せたいバイアスは働きそうで、問い続けることは必要だと感じた。

エスノグラフィー調査を採用しただけで深い情報が解き明かせるという訳ではなく、問いを立てる質が高いから本質に近づけるのであり、もはや手法の問題ではない印象を受けた。今の自分のままでは、例えエスノグラフィー調査の機会が与えられても、半構造化インタビューと比べてそれほど深い調査にならないかもしれず、地道な修行が必要。


エスノグラフィー調査を受け入れる土壌

悪そうな暴走族が調査に協力してくれるのか?という疑問があった。読み進めてみて分かったのは、暴走族は目立つ手段としてマスメディアに取り上げられようとしていて、取材を自然に受け入れる土壌があったこと。華々しく写真の載る雑誌取材を好むとしても、エスノグラフィー調査だってマスメディア取材の一種として受け入れられたのかもしれない。

他のマスメディアと比較すると、書籍のエスノグラフィーでは暴走行為の善悪判断についての主張を避け、徹底して中立的な立場をとる点が違っている。仮説形成の調査ではバイアスを持つと得られる情報の質が悪くなるという教え通りだった。
ただ、他のマスメディアが情報提供者の言葉を鵜呑みにすることや、考察が浅いことに対しては、辛辣に斬り捨てていた。鵜吞みのマスメディアがマッチポンプのように暴走族を囃立てるような構図もあって、この点だけは筆者による批判が垣間見えた。

既存マスメディアを斬り捨てつつも、暴走族とマスメディアの関連を上手く利用したからこそエスノグラフィー調査ができている面もありそう。どんな調査対象にどの調査手法を選べば良いか検討するにも、節操なくあれこれ試すにも、引き出しは多く持つと有利そうだ。

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