HCD-Net関西フォーラム2017 「瞬発的HCDと持続的HCD」
人間中心設計に関する終日のイベント「HCD-Net関西フォーラム 2017」のうち、午前のワークショップに続き、午後の講演についても聴講してきた。自分の中に考えが湧いたものを抜き出して書き留める。気が向いたら書き足す!
音楽を聴かない人に「メタルにもいるいろあるけれど、特にドイツを源流とするパワーメタルが好きで...」という話がピンと来ないよう、ビジネスに疎い私には苦しいところもあった。
そんな私でも、ドイツを源流とする経営学の一派がサービスデザインを概念的に整理していそうな話には好奇心が刺激される。
MBA就学中の先輩から聞いた「他の学問は方法を学ぶけれど、経営学は対象を学ぶので方法は何でもよい」という話を思い出す。経営学の対象を捉えるために、工学・経済学・心理学・社会学といった様々な視座からアプローチするので、掴みどころがなく感じられたのかもしれない。
講演の主題は「価値循環」という枠組みで、我々が新しいサービスを構想する際にステークスホルダーマップ上に描き入れる矢印に対して、より深い思考の枠組みを与えている。
そこまで難しく考えて何になるのか?というと、「動的に均衡しているの?」というチェックポイントを与えてくれることかなと思う。脳内から聞こえてくる師の声「それって儲かるの?」「尊敬されるビジネスをしなきゃ!」は、言われてみれば動的均衡に繋がっている。
価値循環のデザインには経営者くらいの全体視が必要という話を受けて、「起業家精神」を持った人材を求める企業があることを思い出した。
起業家精神あったら自分で起業するよね?というtwitterの突っ込み通り、サービスデザイナーの人材確保にもジレンマがありそう。
グラフィックデザイナーの方がタイポグラフィの生い立ちにまで遡った知識を仕事に反映するが如く、鉄道車両デザイナーも建築物の概念である「人と自然の間にあるもの」に拠り所を求めて、まさかの石器時代まで時を遡るのが意外だった。
建築物でありながら移動できることをフルに活かし、人々が建築物・電車に求めることをデザインへと落とし込んでゆく。広い開口部やデッキを設けて移動できる建築物の魅力を最大化すること。寝台車であれば、普段の満員電車では出来ないような、場所を占有したった感にフォーカスすること。過去の伝統を継承することなど。
多くの制約を乗り越えながら形にしていて、素人ながらデザイナーとして良い仕事されていることが伝わってくる。
人が操作する製品を開発してきた私にとって、頭のどこかで人→人工物を一方向に支配するような前提を持って、操作の満足度でインターフェースの良し悪しを測ってきた。
講演で紹介された研究テーマには、人工物→人へと影響を与えるものもあった。例えば、うなずきロボットがいると話の理解度が上がる例だと、人工物が人間に対して影響を与えている。
人工物が人を操ると思うと怖いところもあるけれど、インターフェースだから逆方向からの関わりもあって当然だと改めて気づく。
UI/UXを混同することや、画面上のちょっとしたエフェクトを「これがUXだ!」みたいに言う事には異論を唱えてきた。
でも、講演で聞いた研究の例は、ISOで言うUXの定義に現れる「人の知覚や反応」そのものに、ヒューマンインターフェースが直接作用するように思えた。
例えば、腰元のカメラで撮影した映像をVRで見ながら歩くという単純なカラクリだけで、子供目線になれたり、忘れていた童心を思い出したり、体験後も他人の視点に気配りできる変化をもたらしたりする。
現代のテクノロジーでスポーツを再発明する「超人スポーツ」についてよく知らず、奇をてらったものだと思っていたのが申し訳ないくらい、実はものすごく意義が深いことを知った。
眼鏡で視力の悪さを克服できる今や視力が悪くても障害障と呼ばないように、技術で克服できる障害は障害でなくなる。さらに、進んでお洒落メガネをかけるように、操ることが楽しく人間の能力を拡張するような車椅子であれば、誰もが乗りたくなる。
スポーツの必要性についても、人工知能に仕事が置き換えられた未来で、人間の尊厳を取り戻すくらいスケールの大きな話だった。
私の身の上話を聞いたうえで、職場の師匠は「これまでの成果を外化しなさい」と導いてくださり、酒の肴がてら身構えず事例のお話を提供することになった。
自分では自分の置かれている状況が分からなかったりする中、外から見た自分の仕事に対するリフレクションが得られたことはとても有意義だった。
これまでの商品開発に対して、開発周期が長くて経験が重ねられないことや、愚直にHCDを回しているけれど先進的な事はなく、お固い業界にいては世の中から遅れをとる不安があった。
でも、話してみた反応は意外と「ここまで愚直に教科書通りできるなんて凄いですね」「それが出来ないから苦労しているんですよ」なんて意見もあった。
短いスパンで次々に商品を出す業界の方が、常にマイナーチェンジに追われるので、腰を据えてHCDを回せないとか。人もいなくて放し飼いにされている私と違って、きちんと管理されている方が業務外のHCD活動に時間が割けないとか。
青い鳥を求めた勢いで火中に飛び込む私だけど、実はこれまで恵まれた環境に身を置いていたことには感謝しつつ、そのことを現職の同志にシェアしておきたい。
経営学とUXの間にサービスデザイン!?
講演「サービスデザインを経営学的に考える」の導入は「経営学にもいろいろあるよ!」という話からはじまる。音楽を聴かない人に「メタルにもいるいろあるけれど、特にドイツを源流とするパワーメタルが好きで...」という話がピンと来ないよう、ビジネスに疎い私には苦しいところもあった。
そんな私でも、ドイツを源流とする経営学の一派がサービスデザインを概念的に整理していそうな話には好奇心が刺激される。
MBA就学中の先輩から聞いた「他の学問は方法を学ぶけれど、経営学は対象を学ぶので方法は何でもよい」という話を思い出す。経営学の対象を捉えるために、工学・経済学・心理学・社会学といった様々な視座からアプローチするので、掴みどころがなく感じられたのかもしれない。
実はUXデザインにも経営学と共通点めいたものがある。UXは幸せについて本気出して考えるようなことで、実現方法はマーケティング・デザイン思考・HCD・人間工学・老舗のおもてなし...何を選んでも良いと言う点は同じ。
そんな経営学とUXの共通項として、サービスデザインがありそうな印象を持った。マネタイズできる仕組みづくりと、ユーザー体験を両立させねばならない。講演の主題は「価値循環」という枠組みで、我々が新しいサービスを構想する際にステークスホルダーマップ上に描き入れる矢印に対して、より深い思考の枠組みを与えている。
そこまで難しく考えて何になるのか?というと、「動的に均衡しているの?」というチェックポイントを与えてくれることかなと思う。脳内から聞こえてくる師の声「それって儲かるの?」「尊敬されるビジネスをしなきゃ!」は、言われてみれば動的均衡に繋がっている。
価値循環のデザインには経営者くらいの全体視が必要という話を受けて、「起業家精神」を持った人材を求める企業があることを思い出した。
起業家精神あったら自分で起業するよね?というtwitterの突っ込み通り、サービスデザイナーの人材確保にもジレンマがありそう。
デザインの源流まで遡る
次の演題「人と自然の間にあるものとしての鉄道車両」は、ど真ん中のHCDに沿っている訳ではなさそうだけど、広い意味でデザイン事例のお話。グラフィックデザイナーの方がタイポグラフィの生い立ちにまで遡った知識を仕事に反映するが如く、鉄道車両デザイナーも建築物の概念である「人と自然の間にあるもの」に拠り所を求めて、まさかの石器時代まで時を遡るのが意外だった。
建築物でありながら移動できることをフルに活かし、人々が建築物・電車に求めることをデザインへと落とし込んでゆく。広い開口部やデッキを設けて移動できる建築物の魅力を最大化すること。寝台車であれば、普段の満員電車では出来ないような、場所を占有したった感にフォーカスすること。過去の伝統を継承することなど。
多くの制約を乗り越えながら形にしていて、素人ながらデザイナーとして良い仕事されていることが伝わってくる。
人が人工物を操作する一方通行ではない
ヒューマンインターフェース学会の後に本フォーラムがあったため、演題「身体動作をメディアとするヒューマンインタフェース技術」のような話が聞けた。このあたり、終日イベントとして振れ幅が大きい。人が操作する製品を開発してきた私にとって、頭のどこかで人→人工物を一方向に支配するような前提を持って、操作の満足度でインターフェースの良し悪しを測ってきた。
講演で紹介された研究テーマには、人工物→人へと影響を与えるものもあった。例えば、うなずきロボットがいると話の理解度が上がる例だと、人工物が人間に対して影響を与えている。
人工物が人を操ると思うと怖いところもあるけれど、インターフェースだから逆方向からの関わりもあって当然だと改めて気づく。
UI/UXを混同することや、画面上のちょっとしたエフェクトを「これがUXだ!」みたいに言う事には異論を唱えてきた。
でも、講演で聞いた研究の例は、ISOで言うUXの定義に現れる「人の知覚や反応」そのものに、ヒューマンインターフェースが直接作用するように思えた。
例えば、腰元のカメラで撮影した映像をVRで見ながら歩くという単純なカラクリだけで、子供目線になれたり、忘れていた童心を思い出したり、体験後も他人の視点に気配りできる変化をもたらしたりする。
道具が手の延長になるUI
以前、大工道具館の見学中に「道具は手の延長」と聞いて、UIに関する概念を変えるように感じられた。実は新しい発見でも何でもなく「身体性の編集」という研究テーマがあることを、その道の第一人者の講演「HCDとしての超人スポーツ」で聞くことができた。現代のテクノロジーでスポーツを再発明する「超人スポーツ」についてよく知らず、奇をてらったものだと思っていたのが申し訳ないくらい、実はものすごく意義が深いことを知った。
眼鏡で視力の悪さを克服できる今や視力が悪くても障害障と呼ばないように、技術で克服できる障害は障害でなくなる。さらに、進んでお洒落メガネをかけるように、操ることが楽しく人間の能力を拡張するような車椅子であれば、誰もが乗りたくなる。
スポーツの必要性についても、人工知能に仕事が置き換えられた未来で、人間の尊厳を取り戻すくらいスケールの大きな話だった。
リフレクションから自分の仕事を知る
交流会ではネタ提供としてポスター発表をする。中尾さんによる「飲み会UX」発表のような、普通のサラリーマンの斜め上をゆく発表もあった。私の身の上話を聞いたうえで、職場の師匠は「これまでの成果を外化しなさい」と導いてくださり、酒の肴がてら身構えず事例のお話を提供することになった。
自分では自分の置かれている状況が分からなかったりする中、外から見た自分の仕事に対するリフレクションが得られたことはとても有意義だった。
これまでの商品開発に対して、開発周期が長くて経験が重ねられないことや、愚直にHCDを回しているけれど先進的な事はなく、お固い業界にいては世の中から遅れをとる不安があった。
でも、話してみた反応は意外と「ここまで愚直に教科書通りできるなんて凄いですね」「それが出来ないから苦労しているんですよ」なんて意見もあった。
短いスパンで次々に商品を出す業界の方が、常にマイナーチェンジに追われるので、腰を据えてHCDを回せないとか。人もいなくて放し飼いにされている私と違って、きちんと管理されている方が業務外のHCD活動に時間が割けないとか。
青い鳥を求めた勢いで火中に飛び込む私だけど、実はこれまで恵まれた環境に身を置いていたことには感謝しつつ、そのことを現職の同志にシェアしておきたい。
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