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9月, 2017の投稿を表示しています

CODE for JAPAN SUMMIT 2017

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おらが街に CODE for JAPAN SUMMIT 2017 が来るということで、ほとんどCODE for...活動に参加したことも無いくせ、せっかく近所なので通りすがりのソフトウェア技術者として立ち寄ってきた。 すべてのセッションがリアルタイムにグラレコで可視化されるのは圧巻だった。CODE for...と言うくらいだからコーディングが得意なエンジニア集団かと思いきや、非エンジニアの役割も大きく多様性を感じる。 全体的に「四の五の言わず、出来る事をやろう」という雰囲気が伝わってきた。以下、2日目の短い間だけの滞在で、印象に残ったセッションやイベントについてつまみ食いで書き残す。 行政における破壊的イノベーションへの壁と期待 間違いなく、このセッションが一番ぶっ飛んでいて面白かった。最初のネタ降りに対して「それって破壊的イノベーションなのか?」という漠然とした疑問が湧いたところ、すかさずパネリストが司会に「お前は分かっていない!」と斬りかかるのが最高だった。 パネリストでは無かった角さん(元公務員で現フィラメント代表)も、マイクを向けられて破壊的イノベーションはかくあるべし!というお話をされていた。司会の長井さんは同世代でも期待の星なんだけど、いかんせん周りが強敵過ぎる! なぜ破壊的イノベーションが必要なのか?については、書籍「イノベーションのジレンマ」のなかで言い尽くされている。成功にあぐらをかいていると緩やかに破滅へ向かうので、価値観を変えるような新しい世界に挑戦しないといけない。 この手の話で論点になるのは、もう差し迫っているのか?まだ時期尚早なのか?というタイミングの見極めだろう。パネルトークの中で紹介された人口曲線グラフを指して「今ジェットコースターの頂上にいて後は落ちるだけ」という話は、現実的に差し迫って変革が必要なことを突き付けられたように感じた。 「行政における」が付いたパネルセッションでは、破壊的イノベーションと言っても競合との競争という文脈や、既存ユーザーの要望を聞き過ぎて破滅するカラクリについては出てこない。そもそもユーザー(市民)を向いていないところから脱却するために破壊が必要になってしまうレベルのようだった。 でも、ちゃんとユーザー(市民)を向いたサービスをデザインしなきゃ!という強

「福」に憑かれた男

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兄貴として崇める高橋さんからオススメ頂いた『 「福」に憑かれた男 』を読了。合間時間ですぐに読みきれたけれど、随所に教訓が散りばめられていて油断すると読み流してしまう密度の高い小説だった。 されど作り話 これまで心のどこかで「読んだ後に知識が増える教科書と比べると、たかが作り話な小説を読んでも何も変わらない」という考えがあったのを、完全に払拭するくらい私の考えを変えた小説だった。 この本の中の出来事にも感動しつつ、感動について述べていることも示唆を与えてくれた。 「感じて動きたくなる」のが感動ですから、心の底から感動した人が何の行動も起こさずにいることなんてできません。 思い返すと、涙を誘う感動モノ作品が氾濫しているなぁと感じた時期があって、痛くて涙が出るのと同じレベルの生理現象に思えてウンザリしたこともあった。そうではなく、感動が原動力となって人を突き動かすことに意義があったんだ。 また、小説を読んで役に立つのか?を持ち出すのは愚問ながら、作者から手ほどきを受けるくらい意義があると思いなおした。 人に憑く「福の神」の視点で業務マニュアルを書くというトリッキーな設定も、実は作者の個人的な体験に由来していることが「あとがき」で判明する。本屋に訪れた作者と交流するエピソードや、本との出会いの大切さを説くことは、あとがきを読むまでもなく喜多川さん本人の想いや体験をもとにしていることが伝わってくる。 無から有は生み出せないとおりで、小説の作者が人生の中で得たインプットを教訓化して、2時間で読みきれる分量に凝縮したものだった。 マーケティングでありUXデザインでもある 主人公(福の神)が憑りついた主人が営む街の本屋が、大型書店やコンビニが近くにできるという苦境を乗り切ったやり方が、競合には出来ない自分のユニークな強みでブルーオーシャンを開拓する意味ではマーケティングっぽい。 一方で、商売する中でターゲットを「30代男性会社員」のように人の属性でスパッと切るのではなく、生身の人間に興味を持って相手を目がけて価値あるものを提供するという意味ではUXデザイン的でもある。 私にこの本を勧めてくれた高橋さんは、講師できるくらいマーケティングを極めながらUXデザインを学んでおられる。しかも、生業として街の工務店を営んでおられつつ、大手に

書斎の鍵

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この「 書斎の鍵 」の中に出てくる「書斎のすすめ」という本中本の部分だけ紙質・フォント・レイアウトを変えていて、こういう本に出会うと紙の本だから表現できる面白さを感じた。 デキる登場人物が実は家に書斎を持っていたことが次々と判明して、主人公が変わってゆく筋書き、進研ゼミで見たやつだ!←郵送されてくるDM漫画のやつ。 読書という習慣を啓蒙すべくして書かれた本であり、日本の未来のためにも皆が読書によってブレない「志」を手にいれなければ!という、筆者の強い「志」を考え抜いて具現化したような本だった。 読了した紙の本の背表紙に囲まれて自分と向き合う書斎を持つ重要さを説く。本を読まない人にこそ読んでほしい主題を届けるための媒体として、紙の本を選んでもAIDMAを乗り越え読んでもらえないんじゃないかと、メタ的なところでドキドキした。 でもそれは、口コミマーケティングで乗り越えるんだろう。小説の中でも読書家の父親に反発して読書しなかった主人公が、父親の死をきっかけとする謎解きの中でいろんな人と出会い、影響を受けて考え方が変わっていったように。 現実世界の私も読書家の先生から「書斎の鍵」を勧められたし、読んでいる事をSNSに投稿したら他の本も勧めて頂けたし、私から見て読書しない人に本を勧めるとしたら「書斎の鍵」だと思う。踏み出せば広がる紙の本の世界へ、最初の一歩を担うための本なのか。 既に読書してるのに問題 既に進研ゼミを始めた会員が勧誘DMを読んだ際に「進研ゼミやってもリア充になれていないぞ!」という声が出てくる。 これと同じことが、「書斎の鍵」にもありそう。私について言えば、同世代の会社員と比べると私は読書する方だけど、果たしてブレない「志」を持てているのか?他人との違いを恐れない「変人」になりきれているのだろうか?という問いが生まれた。 発展途上だから結果を焦る時ではないと言い聞かせつつ、読書に対する姿勢について学んだこと(後述)もあったので、方向修正しながら継続してゆきたい。 教科書と小説 本中本が「教科書」で、その前後が「小説」という分け方ができ、両方をとても器用に書き分けていらっしゃる。 父が遺したものと向き合う「小説」として読んでも、登場人物に無駄が無くてパズルのように考え

トヨタの強さの秘密

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読書会のお誘いを受けて題材に挙がっていた「 トヨタの強さの秘密 」を読了。ABDなる読書法だと担当分だけで良いらしいのだけど、なんかそれも気持ち悪いので結局は読みきる。 生産と開発を分けて考えるのが出発点で、「トヨタ生産方式」が世界中に普及し過ぎて差別化できない今や、強さの秘密は「トヨタ流製品開発」にあるそうな。 製品開発システムのアウトプットとして、その時代で確実に売れそうな設計情報が爆誕した場合に限り、生産システムが発動する。 この話の流れにはデジャヴ感があって、ゴールドラット先生の「 ザ・ゴール 」でも当初は生産管理の話だったのが、何作目かでは考え方を開発プロジェクトに拡張した「 クリティカルチェーン 」を提唱されている。 在庫を持つのが会計上は資産だけど、物が溢れる今や仕掛品を負債として考えるべきという根底にある考えも、トヨタのお話と重なる。どちらが元祖かはさて置き、自然な考えであることは分かった。 注目している側面の違い? LEANもデザイン思考もアジャイルも元祖はトヨタだ!という大風呂敷に冒頭から期待値が高まる。私は中立的に「上手くやれたら元祖なんて何処でも良い」と思っているし、良し悪しを述べられる程の者でもないけれど、実際のところどうなんだろうか? 「強さの秘密」は、組織の構造(主査制度)と管理方法(TQM)であることが解き明かされる。スーパーマン的なタレントを持った主査を中核に据えることを知り、秘密でなくとも再現は出来ないじゃないかとも思う。マネできないから強みなのか。 設計情報創出の源泉となる「どうやって顧客ニーズに適合するのか?」という問いに対しては、「凄腕の主査が組織横断で顧客情報にアクセスするんだよ」くらいの記載しかなく、具体的にどんなユーザー調査するのかは答えが得られない。 「デザイン思考も元はトヨタ」なる節まで設けられているけれど、ユーザー調査に関しては少なくとも本書よりデザイン思考に頼る方が答えに辿り着く方法が得られる。本書が組織や仕組みに焦点を当てていて、デザイン思考は活動に焦点を当てているというような、重視している点の違いに思えた。 時代が変わっても対処できる強みなのか? 読み終えてみて感じるのは、トヨタ方式はそこそこ大きくなった製造業が既存ビジネスを維持することを目指した考え方なの

DREAM THEATER IMAGES, WORDS & BEYOND 25th Anniversary Tour

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スタジオ音源のことを「アルバム」と読ぶ。私にとっては Dream Theater のアルバムを引っ張り出すと、リリース時期に聴き込んだ頃の思い出が蘇る、まさにアルバムのような存在。 流石に1992年当時にリアルタイムで聴いた年頃でないけど、2ndアルバム「 Images and Words 」は特にプログレッシヴなメタル界での金字塔。今回は2ndアルバムリリース25周年を銘打った「IMAGES, WORDS & BEYOND 25th Anniversary Tour」の大阪公演に足を運んだ。夕方の新福島の街が魅惑的。 会場の グランキューブ大阪 は大きなコンサート会場で、ヘヴィメタル界でも走り回ってライヴを楽しむタイプのバンドは利用しない。 全席指定とは言え演奏中はスタンディングするけど、少なくとも飛びはねるタイプではない。 大阪ルールに則ってエスカレーターは右寄り。日本人メタルファンは、ステレオタイプとは裏腹に普段は生真面目なところがあり、中でもプログレメタルは特有のオタクっぽさも兼ね備えている。※あくまで個人の印象。 SNSに「来たよ」投稿するために撮影されがちなのがポスターと、ツアー名の入った電光掲示板。 Tシャツ販売に群がるファン。スーツで仕事帰りにライヴ鑑賞するサラリーマンが正装として現地調達したり、愛好家の間で歴史的瞬間に立ち会ったことを誇示したりする。昨今のフリー化した音楽市場は、ライヴとTシャツ販売で市場が成り立ってんじゃないか。 タワーレコードの店舗でも売っているCDを、わざわざ会場の物販で買う。言ってしまえば、データで聴けるご時世にCDを持つこと自体が「わざわざ」なんだけど、さらにCDというモノに自分のエピソードを意味づけしたい。 直前にチケット取ったので席はステージから遠い。会場の一番後ろまで「S席:¥12,000」なんて物は言い様だ。 3時間が一瞬で過ぎる 前半に多く演奏された最近の曲は、ハマっていた昔ほど聞き込めていなかった。改めて聴くと「かなり良いじゃないか」という発見の連続で、これぞライヴの醍醐味。 ジョンマイアングがベースソロでジャコパストリアスを弾いたり、「As I Am」のリフにメタリカの「Enter Sandman」を乗せたりと

いまこのARTが面白い!vol.1

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神戸の写真教室「 Nagy 」による単発イベント「 いまこのARTが面白い!vol.1 」を聴講してきた。 会場は再度山の麓にある「 海外移住と文化の交流センター 」で、もともとは移民の学校だったのが、貸し会議室としても利用できる模様。 kiitoにしても然りで駅から遠いのは珠に傷だけど、神戸にはハイカラで価値ありげな建物が現役稼働している。 Nagyは写真教室と言っても、おそらく初心者に一眼レフの使い方を教えるタイプの教室ではなく、既にそこそこ出来る人が表現者として一人前を目指すレベル!? そこに丸腰の素人として乱入する私の狙いは、クリエイティブ界隈の方のモノの捉え方に触れて、せめて意思疎通できるようになりたいということ。 正直なところ、美術館に足を運んでも良く分からないことの方が多いので、見る人はこんなところを見ているのか!という手解きは有難い。 比較によって共通点・違いを際立てる 5年おきの「ドクメンタ」と、2年おきの「ヴェネチア・ビエンナーレ」が重なったおかげで、両方が同時に楽しめるというスペシャルイヤー。そんなことも知らなかったレベルな私だったけれど、比較しての報告が伺えたことはとても良かった。 私は日本人ながら「日本人はどんな民族?」と聞かれてもうまく説明できない。でも、「日本人はアメリカ人と比べてどう違う?」であれば、まだ説明しやすい。 そんなところで、「ドクメンタ」と「ヴェネチア・ビエンナーレ」の比較で捉えられたところは、それぞれの理解にも役立ったし、現代美術の全貌を掴むのにも助けになった。 政治から芸術を取り戻すべくして始まった「ドクメンタ」は、美術祭全体で一貫した主張を打ち出すため、毎回キュレーターを置いてその趣向に合った作家を集める。そのため、リサーチに基づいた玄人好みの作品が多く、作品に対峙して説明を読み込みながら味わう。 他の都市に遅れを取ったヴェネチアが復興をかけて始まった「ヴェネチア・ビエンナーレ」は、商業的な色合いが濃く、売れっ子作家の作品を集める。そのため、見た目に「スゲェ!」という楽しみ方ができる。 共通項としては、現代アートの傾向がおぼろげに掴めた。単体の彫刻・写真・絵画だけの作品の枠を超えて、プロジェクターを駆使した映像作品、身体を張ったパフォーマンスというメディアを組み

HCD-Net関西フォーラム2017 「瞬発的HCDと持続的HCD」

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人間中心設計に関する終日のイベント「 HCD-Net関西フォーラム 2017 」のうち、 午前のワークショップ に続き、午後の講演についても聴講してきた。自分の中に考えが湧いたものを抜き出して書き留める。気が向いたら書き足す! 経営学とUXの間にサービスデザイン!? 講演「サービスデザインを経営学的に考える」の導入は「経営学にもいろいろあるよ!」という話からはじまる。 音楽を聴かない人に「メタルにもいるいろあるけれど、特にドイツを源流とするパワーメタルが好きで...」という話がピンと来ないよう、ビジネスに疎い私には苦しいところもあった。 そんな私でも、ドイツを源流とする経営学の一派がサービスデザインを概念的に整理していそうな話には好奇心が刺激される。 MBA就学中の先輩から聞いた「他の学問は方法を学ぶけれど、経営学は対象を学ぶので方法は何でもよい」という話を思い出す。経営学の対象を捉えるために、工学・経済学・心理学・社会学といった様々な視座からアプローチするので、掴みどころがなく感じられたのかもしれない。 実はUXデザインにも経営学と共通点めいたものがある。UXは幸せについて本気出して考えるようなことで、実現方法はマーケティング・デザイン思考・HCD・人間工学・老舗のおもてなし...何を選んでも良いと言う点は同じ。 そんな経営学とUXの共通項として、サービスデザインがありそうな印象を持った。マネタイズできる仕組みづくりと、ユーザー体験を両立させねばならない。 講演の主題は「価値循環」という枠組みで、我々が新しいサービスを構想する際にステークスホルダーマップ上に描き入れる矢印に対して、より深い思考の枠組みを与えている。 そこまで難しく考えて何になるのか?というと、「動的に均衡しているの?」というチェックポイントを与えてくれることかなと思う。脳内から聞こえてくる師の声「それって儲かるの?」「尊敬されるビジネスをしなきゃ!」は、言われてみれば動的均衡に繋がっている。 価値循環のデザインには経営者くらいの全体視が必要という話を受けて、「起業家精神」を持った人材を求める企業があることを思い出した。 起業家精神あったら自分で起業するよね?というtwitterの突っ込み通り、サービスデザイナーの人材確保にもジレンマがありそう。 デ

実物大ペーパーモデル

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人間中心設計に関する終日のイベント「 HCD-Net関西フォーラム 2017 」のうち、午前のワークショップ「実物大ペーパーモデル」講座に参加してきた奮闘記。午後も目白押しだったけど書いていたら長くなったので分けた。 いきなりカッターの使い方 これまで、製品・サービスが提供するユーザー体験に思いを馳せてきた。ユーザー体験をお届けするには実体のある「モノ」に落とし込まないといけない。 だけどモノづくりはやっかいで、工数・時間をつぎ込まないと体験できるレベルまで仕上がらないくせに、作ってしまうと後戻りができない。 そこで、実体として触れる「プロトタイプ」をつくり、最終製品を前倒しで体験させて評価を得る「プロトタイピング」に取り組む。 混同しやすいけれど、今日の講座は「プロトタイピング」ではなく、「プロトタイプ」作成だった。潔いくらい技能の習得に振り切っていて、いきなりカッターの持ち方から始まる。持ち物が「A2のカッターマット」というのもブッ飛んでいて素敵。 「ズバァァン!と切ればいいんです」というスパルタ指導を受け、いざモデルボードを試し切りするも、斜め45度に切るのは素人には難しくて接合面が直角にならない。 厚みを考慮して刃の角度に注意しなければならないのは、先月の DIYワークショップ の丸ノコに通じるぁと思い出す。人生に迷うこともある私だけど、迷いがあると綺麗に切れない。 実物大は関係者を雄弁にさせる ワークショップのお題は「ロボット手術台」のアーム。なるほど、こんなに大きいと3Dプリンターよりもモデルボードで作った方が安く早く上手いのか。 それにしても、私にとっては関係者が身近にいて馴染みあるお題だったけど、参加者はこのマニアックさに付いて来れるのか!?? さて置き、講座の中で唯一「プロトタイピング」について言及していた「実物大は関係者を雄弁にさせる」という教えについては、ぜひ書き留めておきたい。 画面上の絵を見せられながらインタビューを受けた人は、頭の中で現実世界に出てきた状況を想像するという認知的な負荷が強いられる。一方で、実物大であれば自分がプロトタイプの前に立つだけで、「あと2cm高い方がよい」という細かい意見まで話すことができる。 デザイナーがよく絵を描くの

フリー

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ビジネスモデルキャンバスについて学ぶと、「ロングテール」「フリーミアム」「釣り針モデル」と言ったビジネスモデルがカタログ的に数ページづつ紹介される。 ビジネスについては疎いなりに、「Aのことを理解するには周辺にあるBCDEFを学べ」という教えに従い、個々のテーマを掘り下げようと試みている。 今回読んだフリーに関しても、ビジネスモデルキャンバス本だと「フリーミアム」としてサラッと紹介される内容が、350ページに膨らんでいて奥が深い。 ビジネス本ではあるのだけど、意外と技術がもたらす変化から出発しつつ、半歩先の未来において成り立つ当たり前のビジネスを予言した内容。 私の経験では、技術主導型で何かを作ろうとすると、ゴールを見誤ったアイデアに着地する事が多い印象があるので、それでよいのか?という戸惑いが湧く。 私自身が、「ネットショッピングだと家で買物できて便利だな」「3Dプリンターがあれば試作が捗る」くらいの乏しい発想だからかもしれない。 でもやっぱり、クリスアンダーソンさんは技術革新が産業やビジネスにもたらす変化を発想して表現する力が凄いなと思う。具体的には... オンライン売買では商品棚の大きさに縛られないので、80:20の法則を凌駕してニッチ商品の裾の広さでビジネスが成り立つ「ロングテール」 3Dプリンターで少数生産の製造コストが下がると、大企業による大量生産は終わり、コミニュティの参加者が少しづつ設計図を改良し、誰もが作り手になれる「メーカーズ」 そして本書は、知的活動によって産まれるビット界の商品は、オンラインによって生産コストなく複製して広がり、一握りのユーザーがお金を払えばビジネスが成り立つという「フリー」 こういった考えの源泉は何だろう?と思っていたら、フリーの中で繰り返し述べられる「希少なものを潤沢にする」という考えが、「ロングテール」「メーカーズ」「フリー」で一貫しているように思えた。 現実世界のルールを1つだけ曲げるSF的思考を持ち、技術によって希少なものが潤沢になった未来に、人々は何を望むのかを考える。その先に、どうやって儲けるのか考える。けっこうBTCを縦横無尽に行き来する。 もし「〇〇技術を使って何か出来ないか?」という苦しいお題が与えられることがあったら、技術一辺倒にならず、どんな希少なものを潤沢にするのか