「闘争」としてのサービス

Xデザインフォーラムin京都の聴講を控え、滑り込みで「闘争」としてのサービスを読了した。専門外の論文を読むような難しさで苦労しつつ、この本を読んで文章に書くこと自体も、この本で言うところの「闘争」に思えてきて、断片的にでも響いたことを記そうと試みる。


「小難しい本を読むオレ知的だろ?」と見せかけたくてこの文章を書きつつも、一方で、分かる人が見れば「こいつの理解はこの程度か」という見極めに晒される。お金を払っただけでは本というサービスの価値は得られず、難しい内容に挑んで意見を発信して晒される闘争の中で、本物の知性が手に入るサービスに見えた。

極端な定性調査から全体を知る

本筋のテーゼとは関係ないところで、定性調査のアプローチが美しいと感じた。
自分がユーザー訪問して得た知見を企画や製品に反映しようとすると「たまたま見たユーザーだけじゃないの?」という問いが浴びせられる。一方で数を稼ごうとすると、深い調査が出来なくなり、トレードオフに悩まされる。
この本の研究アプローチは、発話を書き起こして分析するような物凄く手間のかかる調査をしていて、数を絞らねばならない。これに対し、高級寿司屋とファーストフードという両極端を選ぶことで、広範囲で根底に横たわる知見を導く。そんな定性調査のやり方は、わかっていても思い切って実践が出来ない。

ショッキングな「人間-脱-中心設計」

私の属している製造業では、顧客満足度を高めるべく人間中心の哲学を持ち込もうとし始めている。私にとって、本書でいう「人間-脱-中心設計」はショッキングだった。良いサービスは顧客満足など目指さないという主張を見ると、時代の最先端は先まで行ってしまったように感じた。事例は古典的なのに、導き出したことは斬新だった。
でも、内容を読むと、逆にこちらの方が人間中心っぽく思えてくる。高い視点から設計したサービスを与えるのでなく、相手を人間と認めるからこそ同じ視点に立ち闘争する。抽象化されたペルソナに一体化させるのでなく、生身の個性ある人間に対してサービスする。
そんな哲学が主流になるかはさておき、気になっていた「期待を超える価値を生み出しても時間が経てば同質化するよね問題」に対して、闘争という枠組みが別解を与えてくれたのは収穫だった。

接客サービスとサービスデザイン

「眼鏡は物を見えるようにするサービス」という話を聞いた私の中のイメージでは、サービスデザインのサービスは接客サービスよりも広く、別の概念という印象を持っていた。この本では接客業のサービスから出発して、サービスデザインの話にまで継ぎ目なく拡張するのがむしろ意外だった。
理解の鍵となるであろう「社会的関係の中で生み出される価値」の真意は、正直まだよく分からない。でも、生身の人間にフォーカスして個別化を推し進めると、人間から人間へのサービスに回帰するかもしれない予感はある。

そんなところで、夕方から話聞いてきます。ついていけるかなぁ。

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