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ワークショップのチーム分けを組合せ最適化問題として解く

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背景 ワークショップをするにあたってチーム分けは重要。得意技が違うメンバーと力を合わせてアウトプットを出すのが醍醐味なので、チーム内のメンバーは偏らないのが望ましい。また、特定のチームだけズバ抜けて能力が高かったり低かったりする不公平も避けたい。 一方で、膨大な組み合わせの中からイケてるチーム分けを考えるのは結構大変な作業である。例えば、36人を6チームに分ける組み合わせを考えると、36C6 * 30C6 * ... * 6C6 / 6! = 3.71*10^(21) とのことで、 聞き慣れない 「37 垓 通り 」なる組み合わせから選ばなければならない。なんとか上手く対処できる方法はないかと考えた。 やりたいこと 人工知能が将棋で人間に勝つよう、膨大な組み合わせの中から最もイケてる手を選ぶのはコンピューターの得意とするところ。そこで、ワークショップのチーム分けを 組合せ最適化 問題として定式化し、解決しようと試みる。 アプローチとして、事前に参加者から「 実践コーチング 」でタイプ診断してもらい、その点数を使ってチーム分けのイケている度合いの求め方や、チーム分けの表現を行列計算でモデリングし、データサイエンティスト御用達の R言語 で実装して解く。 コミュニケーションタイプとイケてるチーム分けの関係性 「 実践コーチング 」は、コミュニケーションの図り方の4タイプ「コントローラー」「プロモーター」「サポーター」「アナライザー」それぞれ点数で診断してくれる。各タイプがまんべんなく集まったチームは、多様性があって良いチームに違いないという憶測のもと進める。 例えば私の診断結果は以下の通り。 コントローラーの点数:3 プロモーターの点数:3 サポーターの点数:2 アナライザーの点数:0 タイプは「コントローラー/プロモーター」です チームメンバーの点数をタイプごとに合計し、各タイプの点数が均一であれば、バランスの良いチームだと言えそう。図の例ではチーム合計10,3,4,8であり「コントローラー」タイプに偏ったチームといえる。 また、チーム内のすべての点数をさらに合計した値(例だと25)がチームの能力であるとし、他のチームと比べてばらつきが少なければ、公平なワークショップになると言えそう。 行列で表現してみる ...

Xデザインフォーラムin京都

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Xデザインフォーラムin京都 の講演を聞いてきた。「サービスは闘争」をテーゼに掲げ 人間 脱 中心設計こと HdCDを唱える山内先生と、「利他的UXデザイン」 を研究しHCDのJIS化でも中心人物でおられる安藤先生の対決 という構図。 前評判を聞いただけでも面白そうなところ、期待以上に面白かった。 先攻は闘争としてのサービス 直前に本を読んだ だけでは掴みきれなかった概念を解きほぐして説明してくださったので、だいぶ理解できるようになった。 例えば「相互主観性」はこういうイメージ。高級レストランでワインが美味しかったからといって、安易に「おいしい」と言うと、「表現が乏しいやつ」と程度が知れてしまうので素直に表現できない。 観察する「主体」と観察される「客体」が分離できることを前提に 従来のデザイン が成り立っていた。でも現実には、客体の中に主体が映り込んで相互作用するので、切っても切り離せない複雑さがある。 「ヘーゲルの主人と奴隷の弁証法」はこんなイメージ。承認を得るために闘ってマウントポジションをとるんだけど、負かした奴隷から 承認を得ても有難みがなく承認欲求は満たされない。 顧客満足を得るためにへりくだるとサービスの価値が目減りしてしまう現象の説明になる。だから、 高級な鮨屋ほどわざとらしい笑顔の接客が減る。 デザインがデザインの価値を貶める話には思い当たる節がある。我々もB2B製造業の世界で、 デザイン性が高く使いやすい 製品を市場に投下した。けっこう影響が大きく、発売5年が経つと海外展示会でも競合による美しい製品で溢れるようになってきた。結果として、美しいデザインであることが同質化されてきた。 同質化への打開策として、講義では価値の源泉を市場の外に求めること、すなわち「文化のデザイン」へと話が向かう。具体的には、 芸術は 芸術だから有難いことや 、合理性とは正反対の礼儀作法にしてしまうこと。 これまでの私に無い新しい観点の収穫だった。 一方で、どのくらい普遍的なことだろうか?嗜好品ならまだしもB2Bで実践できるのか?ハイコンテクストな日本独自な話もあるんじゃないか?という疑問が沸いた。 また、高級な鮨屋がへりくだった顧客満足なんて目指さない 話についても、前提として鮨自体が美味しいから出来るんじゃないか。旨い鮨にあ...

「闘争」としてのサービス

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Xデザインフォーラムin京都 の聴講を控え、滑り込みで 「闘争」としてのサービス を読了した。専門外の論文を読むような難しさで苦労しつつ、この本を読んで文章に書くこと自体も、この本で言うところの「闘争」に思えてきて、断片的にでも響いたことを記そうと試みる。 「小難しい本を読むオレ知的だろ?」と見せかけたくてこの文章を書きつつも、一方で、分かる人が見れば「こいつの理解はこの程度か」という見極めに晒される。お金を払っただけでは本というサービスの価値は得られず、難しい内容に挑んで意見を発信して晒される闘争の中で、本物の知性が手に入るサービスに見えた。 極端な定性調査から全体を知る 本筋のテーゼとは関係ないところで、定性調査のアプローチが美しいと感じた。 自分がユーザー訪問して得た知見を企画や製品に反映しようとすると「たまたま見たユーザーだけじゃないの?」という問いが浴びせられる。一方で数を稼ごうとすると、深い調査が出来なくなり、トレードオフに悩まされる。 この本の研究アプローチは、発話を書き起こして分析するような物凄く手間のかかる調査をしていて、数を絞らねばならない。これに対し、高級寿司屋とファーストフードという両極端を選ぶことで、広範囲で根底に横たわる知見を導く。そんな定性調査のやり方は、わかっていても思い切って実践が出来ない。 ショッキングな「人間-脱-中心設計」 私の属している製造業では、顧客満足度を高めるべく人間中心の哲学を持ち込もうとし始めている。私にとって、本書でいう「人間-脱-中心設計」はショッキングだった。良いサービスは顧客満足など目指さないという主張を見ると、時代の最先端は先まで行ってしまったように感じた。事例は古典的なのに、導き出したことは斬新だった。 でも、内容を読むと、逆にこちらの方が人間中心っぽく思えてくる。高い視点から設計したサービスを与えるのでなく、相手を人間と認めるからこそ同じ視点に立ち闘争する。抽象化されたペルソナに一体化させるのでなく、生身の個性ある人間に対してサービスする。 そんな哲学が主流になるかはさておき、気になっていた「期待を超える価値を生み出しても時間が経てば同質化するよね問題」に対して、闘争という枠組みが別解を与えてくれたのは収穫だった。 接客サービスとサービスデザイン 「眼鏡は...

初心者向けUX/サービスデザイン概論

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概論がもたらす変化 昨年は受講者として概論セミナーを聞いていたし、 2017年2月のイベント でも概論のお話をされていたので、UXデザイン概論のお話を聞く機会は多い。 それでも概論チケットはおかげさまで満員御礼だし、何度聞いても発見があるなぁと感じる。内容が膨大すぎて拾いきれなかった話題でも、次に聞くと一年のワークショップでの悔しい想い出と結びついて、同じ話題なのに自分の中の引っかかり方が違う。 そんな気持ちで今回の概論を聞き始めると見事に裏切られた。今回はIoT/AIの話題のウェイトが多くて、新しいトピックに「おぉッ!」と思った。なるほど。時代がめまぐるしく変化しているのだから、UXデザインセミナーの内容も進化して当然なのか。 その中でも、今回はCUI→GUI→NUIの話題が引っかかった。それは、過去にジェスチャー操作デバイスを片っ端から評価していた個人的な事情も関係しているかもしれない。 そうそう。自分に関係する事は印象に残る。私の体験だと、自分が子育するようになると、それまで意識したこと無かったのに「街行く人に子供連れが多いな」と目に付き、使ってる育児グッズに目が行き、いつしか詳しくなる。 初めて聞く人にとっての概論のセミナーの役割は、日々の生活中にUXデザインに関するトピックに出会ったとき、自分に関係する事として引っかかるよう変化させることだったのか。 ええ感じに空気を読むNUI NUIに話を戻すと、触りたくない特殊な事情があって、過去にジェスチャー操作の実現可能性を検討していたことがあった。今回の講義を聞いて、それはNUIじゃないと分かった。 ユーザーの世界において、CUIでは操作する人がコマンドを記憶しないと使えなかったのが、GUIでは操作者がわざわざ記憶しなくても使えるようになったから進化なのだ。 そこに来て、GUIをジェスチャー操作に置き換える発想だと、GUIで出来る膨大な機能がジェスチャーに対応させきれず、操作者がジェスチャー操作方法を学習しないといけない事態に陥ってしまう。もはやCUIへの退化だ。 そうじゃない。NUIでは人工物が人間をセンシングしてええ感じに空気を読んで振舞うことで、「操作する」という概念の無い世界まで進化させるものなんだ。この「ええ感じに空気を読んで」の部分は、パターン照合が得意な...

私事ですが運営はじめました

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先の記事でラーニングバーから、UX KANSAIの運営お手伝い(見習い)デビューを果たした。昨年末の連続セミナー懇親会で行き着いた場末の酒場でお誘いを受けて快諾したようで、その瞬間の記憶が正直あやふやなのだけども、これも何かの縁。 これまで、参加費を払って裏では運営する不思議な立場でやってきたのが、今回初めて腕章を巻いた。UX KANSAIがユーザー調査すべき対象が自分自身と言う面白い状況だなぁと思う。また「運営って縁の下でこんな事もするのか!」と新鮮に感じたので、新鮮なうちに勢いで書き記す。 運営のお仕事「会場選び」 過去に利用した会場や、別コミュニティのイベントに参加して「あそこ良かったな」と思った会場をストックしておいて、運営でイベントを開催する際には「何人くらいで、どんな事をするので、あそこがよさそう」とアタリを付ける。人の繋がりを駆使して「あの人伝いに聞いてみよう」とコンタクトを取って使用させていただく。 今回は、家具メーカーオカムラさんのラボに会場を提供いただいた。言わずもがな机や椅子が素敵なんだけれど、それ以上に担当者がものすごくお優しくて周りの運営の方も「私、こんな優しくされたことない・・・」と戸惑うくらいだった。 ご厚意で、イベント参加者にもオフィス見学ツアーをさせていただいた。もともとの生い立ちが飛行機の部品メーカーだったので、椅子のギミックが滑らかで体に馴染む。確かにお値段ははるけれど、実際に触れてみるとファンになった。 運営のお仕事「受け付け」 今回はPeatixを利用させていただいた。それ自体は特筆するようなことでもないけれど、セミナー内でサービスづくりをする際に「到着確認はQRコードで」と平気で言ってしまうところ、実際に受付をする文脈にて不意打ちでQRコードを出してもらうとひと手間が煩わしいものだなと、妙な事に気付く。 来客者目線で「この入り口に来れるか?違う方に行くのでは?」と思って、立て看板を立ててみた。迷う人が減って、スムーズに受付で画面を出してもらえるようになった。 それにしても、「到着なう」と↑この画像がSNSに流れる事になる(SNSから拝借)ので、もっとカッコよく書いたらよかった。 運営のお仕事「人集め」 最初は「なかなか集まらないなぁ」...

UX KANSAI「よいサービス・製品のための、UXデザインの考え方」

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カンファレンスの本編よりコーヒーブレイクの方が議論が白熱する。そんな形態の議論を促すべく、講義の後は各自で持ち寄ったテーマをグループで議論する「ラーニングバー」を執り行った。<http://peatix.com/event/227184> 前半戦は講義から まずは講義を聞く。浅野先生の概論は同じ話をされていても聞く度に印象が変わるのが面白い。 初めて聴くと勘所の多さのあまり分からないなりに惹かれ、何かガツンと殴られたような感じになる。一周学んで聞くと、記憶が薄れていたテーマを思い出すとともに、各テーマ同士の繋がりかたに気付く。実は自分自身が変わったことを感じ取る。 倉光先生はUXコミュニティーから巣立たれた卒業生として、クックパッドで活躍しておられる。実務的なお話で、「あくまで一例」と仰っていたけれど、小さなサイクルを多く回すという基本を忠実に実践していらっしゃる。 ラーニングバーに突入 講義を聞いて各自が議論したいと思ったテーマを付箋に書き記す。最初の席は自由だけど、座ったグループで取り組む訳ではない。 50人の参加者が次々と議論テーマを付箋で張りに来るのを事務方がグルーピング→ラダーアップ→ラベリングする。KJ法を源流とするUXデザインの基本所作ながら、参加者を待たせないように時間のプレッシャーが凄かった。 テーマに対してリーダーを割り当て、参加者は興味のあるテーマに群がる。人気テーマで人が多過ぎると議論に参加できないので、5〜6人になるようにする。 「私のラベリングがイケてなかったら遠慮なく書き換えてください」と依頼して回る。付箋の数が密集する「ユーザー調査の方法」のようなテーマは、「定量・定性」や「関与あり・なし」のように、テーマを分割しても良かったなと反省。 つまみながら議論 舌を滑らかに議論するため、つまめる軽食が振る舞われる。議論が始まると「食べてる場合じゃない!」事態になり余るので、ちょうどよい発注量を読むのは難しい。 議論スタイルはチームそれぞれ違う。囲われた談話スペースを使ってギュッと寄り合って議論できるのは、オカムラさんのラボならでは。 いつものUX KANSAI連続セミナーだと常連参加が多い中、平日開催にしてみるとHCD-N...

UXデザインセミナーの話題に対する所見

UXデザインに関してこれまでに印象に残った話題と、現時点の解釈や心境について書き記す。後から読んで恥ずかしくなった時に成長を実感すると思う。 スペシャリストかジェネラリストか? スキルの範囲を特定して研ぎ澄ませるべきか?広範囲をこなせるようになるべきか?という問題。時が経って淘汰に生き残った方が「正解だった」と言えるんだろうけれど、時代の兆候からするとジェネラリストが生き残りそうに思う。 大きな組織に属して仕事をする時点で、意識せずともスペシャリストに偏っていることは実感する。それは、人数が揃っていれば、役割を分けて得意なところを分担した方が効率的だからという組織的な理由もある。 組織の中だけならスペシャリストでよいけれど、目まぐるしく組織が栄枯盛衰する昨今では、そもそも組織が永続する保証はない。組織の枠におさまっていると、まさか組織がなくなるとは思い至らない。 私が今の給料を貰えているのも、今の組織に特化した能力を持っていて、パフォーマンスを上げられるからに過ぎない。きっと私が業務で培った能力は他社で役立たないので、転職しても今ほどの給料は貰えない気がする。 スペシャリストに特化して企業で生きるのも立派な生存方法だけど、UXデザインの実践に関して言えばジェネラリストでないと回せない。サービス創出に最初から最後まで携わるには、マーケティング・開発・販売といった縦割りではいけないし、時代の変化にキャッチアップするには体系化された既存の能力が使えなくなってしまうから。 UXデザインをやりたければ転職? UXデザインに限らず、「新たな○○手法を組織でやろう」と情熱を浪費するより、土壌が整っているところに移って活躍してしまう方が早いという話があった。組織内だとタブー視されるような、枠に囚われない見方(リフレーミング)としては破壊力がある。 そんな転職論に対して私が腑に落ちていないところもある。仕事を選ぶにも何か大きな志(?)があった筈で、それと比べるとUXデザインをやるかは実現手段に過ぎない。実現方法に引っ張られて志を変えるのは違う気もする。 カギになるのは「裁量」と「自分事」という要素ではないかと考えた。「建築業界でUXデザインの第一人者になる!」と意気込んで学びに来ている社長は、まわりに理解者がいない状況で「転職だ!」ではなく「...