Xデザインフォーラムin京都
Xデザインフォーラムin京都 の講演を聞いてきた。「サービスは闘争」をテーゼに掲げ 人間 脱 中心設計こと HdCDを唱える山内先生と、「利他的UXデザイン」 を研究しHCDのJIS化でも中心人物でおられる安藤先生の対決 という構図。 前評判を聞いただけでも面白そうなところ、期待以上に面白かった。 先攻は闘争としてのサービス 直前に本を読んだ だけでは掴みきれなかった概念を解きほぐして説明してくださったので、だいぶ理解できるようになった。 例えば「相互主観性」はこういうイメージ。高級レストランでワインが美味しかったからといって、安易に「おいしい」と言うと、「表現が乏しいやつ」と程度が知れてしまうので素直に表現できない。 観察する「主体」と観察される「客体」が分離できることを前提に 従来のデザイン が成り立っていた。でも現実には、客体の中に主体が映り込んで相互作用するので、切っても切り離せない複雑さがある。 「ヘーゲルの主人と奴隷の弁証法」はこんなイメージ。承認を得るために闘ってマウントポジションをとるんだけど、負かした奴隷から 承認を得ても有難みがなく承認欲求は満たされない。 顧客満足を得るためにへりくだるとサービスの価値が目減りしてしまう現象の説明になる。だから、 高級な鮨屋ほどわざとらしい笑顔の接客が減る。 デザインがデザインの価値を貶める話には思い当たる節がある。我々もB2B製造業の世界で、 デザイン性が高く使いやすい 製品を市場に投下した。けっこう影響が大きく、発売5年が経つと海外展示会でも競合による美しい製品で溢れるようになってきた。結果として、美しいデザインであることが同質化されてきた。 同質化への打開策として、講義では価値の源泉を市場の外に求めること、すなわち「文化のデザイン」へと話が向かう。具体的には、 芸術は 芸術だから有難いことや 、合理性とは正反対の礼儀作法にしてしまうこと。 これまでの私に無い新しい観点の収穫だった。 一方で、どのくらい普遍的なことだろうか?嗜好品ならまだしもB2Bで実践できるのか?ハイコンテクストな日本独自な話もあるんじゃないか?という疑問が沸いた。 また、高級な鮨屋がへりくだった顧客満足なんて目指さない 話についても、前提として鮨自体が美味しいから出来るんじゃないか。旨い鮨にあ...